深谷の空襲の話

こんにちは、金沢です。

眼瞼下垂症手術は両目でおよそ1時間程度かかります。局所麻酔なので様々な会話が有ります。

今回はやがて80歳になろうかという女性。戦時の話に及びました。

  • 深谷に空襲があった。
  • 夜空がピカッと光るのが分かった。
  • 映画館の屋根に穴が開いたのを見た。当時映画館が増えて3件もあった。
  • ラジオを所有する家庭も10軒に1軒程度だったらしく、終戦をラジオ(玉音放送)で知る機会はなかった。いつの間にか知った。

以上彼女の話。戦時を知る人の生の声は重みを感じます。

深谷の空襲は日本最後の空襲、熊谷空襲の際にありました。8月14日深夜(終戦前夜)です。この空襲から半日後には玉音放送が流れていたのです。

深谷の空襲は壊滅的なダメージを受けた熊谷とは対照的に比較的被害が限定されていたとのことで、多くの古い建造物が現在まで残されることになりました。

写真は深谷駅近くの七ツ梅酒造跡(現在は一部が深谷シネマになっている)。このような古い建造物がまちなかに散在しています。

七ツ梅酒造跡
七ツ梅酒造跡
七ツ梅酒造敷地
七ツ梅酒造敷地

映画のセットのように見えますね。

七ツ梅酒造跡煙突
七ツ梅酒造跡煙突

深谷はレンガ造りの街でした。前の東京駅は深谷の煉瓦で建てられたのはご存じですか?先の女性は煉瓦を運ぶ貨物列車が通るのを見て時刻を把握したそうです。当時は持ち運ぶ時計がなかったとのこと。

日本煉瓦製造の足跡が深谷の随所に見られます。このブログがオススメ。

七ツ梅酒造跡
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